書籍
なぜ歴史を学ぶのか
リン ハント(著)、長谷川貴彦(翻訳)
岩波書店 / 2019年10月18日
概要
インターネットが普及したことにより誰でも歴史について発言することができる環境にある中で、嘘やフェイクニュースが溢れています。このような状況を踏まえて歴史を学ぶ意味・目的はどこにあるのかという問いに筆者の回答を与えています。
問題提起
歴史についての嘘はインターネット、特にソーシャルメディアの登場でより顕著になっています。事前のチェックや検閲が事実上存在せず、誰でも情報を拡散することができるので、歴史に関する嘘がインターネット上に溢れることを可能にしています。他にも歴史を巡っては下記のような状況が見られます。
- 政治家が歴史について嘘を言う
- 歴史的記念碑の撤去や存続をめぐる衝突
- 役人が常に歴史教科書を監視
歴史について何か確定したことを言えるのでしょうか?我々が歴史を学ぶ意味とはどこにあるのでしょうか?
事実は完全なものなのか?
本書では事実は決して確定することはないと述べています。一つ目の理由は新たな史料の発見によりこれまで事実と考えられていたことが覆る可能性があることです。例としてコンスタンティヌスの寄進状が挙げられています。
コンスタンティヌスの寄進状(コンスタンティヌスのきしんじょう、Constitutum Donatio Constantini)は、8世紀中ごろに偽造された文書(偽書)。かつてはローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教皇領を寄進した証拠の文書とされ、教権の重要な根拠の一つであった。『偽イシドールス教令集(英語版)』に掲載されていた。
8世紀当時、東ローマ帝国からの独立性を主張するために造られたと考えられている。800年のフランク王国カール大帝への戴冠もこの偽書を根拠として行われた。中世におけるローマ教皇と神聖ローマ皇帝との叙任権闘争の際にも根拠とされ、また東方教会との対立問題ではカトリック教会の独立性を主張するために引用された。11世紀以後も、教皇の世俗権と皇帝に対する優位性(「世界はローマ教皇に帰属する」という主張)の根拠として使用された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/コンスタンティヌスの寄進状
もう一つの理由は完全性の指標が時代によって変化することです。近年までアメリカやオーストラリアでの歴史は入植者を中心とした部分的な記述しかされておらず、先住民は無視されていました。また、放射性炭素年代測定など技術の発展により、これまで事実とされてきた事象についてより科学的な検証が可能となっていることも寄与していると思います。
民主主義の存続
歴史はエリートのための学問として始まり、過去のエリートを叙述するものでしかありませんでした。そこに本来含まれるはずの女性、マイノリティや移民などが叙述されないことが不協和音となり、徐々に歴史の範囲内に入ってきます。このような調和の欠如(歴史の意味をめぐる論争)は健全性の兆候であり、民主主義の存続に欠かせないと述べられています。権威主義体制は過去幾度となく歴史をねじ曲げようと試みてきましたが、歴史という学問そのものがその対抗手段となります。
まとめ
歴史は決して確定したものではなく、新資料の発見や技術の発展、新しい視座の獲得などにより常に変化する可能性が残されています。現在の歴史に疑問を投げ掛け続けることが、グローバル化する世界の中であっても平等な社会を実現するための一つの方法になるかもしれないと感じました。