本記事ではフランスの歴史の流れを年号と人物を交えてざっくりまとめたいと思います。
自分用にまとめた内容になりますので誤りがあるかもしれませんが、随時修正していきます。
また、歴史の流れに合わせて関連書籍も紹介していきます。基本的には過去に読んだことのある本が中心ですが、未読でも今後読みたい本や興味のある本は載せていきます。画像をクリックするとAmazonに飛べるように設定しています。
古代
非統治時代(紀元前58年頃まで)
ケルト人やゲルマン人といった複数の部族が分かれ住んでいた時代。
カエサルによるガリア遠征(紀元前58年〜紀元前51年)
共和政ローマ末期の政治家ユリウス・カエサルによるガリア遠征。
ガリアの有力者だったウィルキンゲトリクスとの激闘の後、カエサルは住んでいた多くの部族を統一した。
カエサルは文筆家の側面も持っており、この遠征記録をガリア戦記という著作として残している。
ローマ帝国(5世紀頃まで)
カエサル後はしばらくローマ帝国による支配が続く。
ローマによる支配の終焉(5世紀半ば頃)
西ゴート王国やフランク王国などが勢力を伸ばし、事実上ローマ帝国による支配が終わる。
関連書籍
- フランス史「中世」I ジュール・ミシュレ著
- ローマ人の物語 IV ユリウス・カエサル ルビコン以前 塩野七生著
- ローマ人の物語 V ユリウス・カエサル ルビコン以後 塩野七生著
- ガリア戦記 カエサル著
書評記事もありますので興味があれば参照ください。
中世
メロヴィング朝フランク王国(5世紀後半〜8世紀半ば)
クローヴィス1世がフランク諸族を統一、メロヴィング朝フランク王国を建国。その後、西ゴート王アラリックを撃破、ボルドーなど現在のフランス国土となる地域を獲得する。クローヴィス1世の死後、国土は四人の子供に分割して移譲された。
7世紀に入ると王族から宮宰へ実権が移っていく。カロリング家のカール・マルテルが732年に侵攻してきたウマイヤ軍をトゥール・ポワティエ間の戦いで撃退する。
カロリング朝フランク王国(8世紀半ば〜10世紀)
751年にカール・マルテルの息子ピピン3世が戴冠し、カロリング朝を開く。800年、ローマ教皇レオ3世がピピン3世の息子であるシャルルマーニュ(カール大帝)を戴冠させる。シャルルマーニュの死後、ルイ1世敬虔王が王位に就く。
ルイ1世が死去すると、息子三人による領土争いが勃発。843年のヴェルダン条約によって、王国は三分割される。長兄ロタール1世は中フランク王国、次男ルートヴィヒ2世ドイツ人王は東フランク王国、三男シャルル2世禿頭王は西フランク王国をそれぞれ統治することになる。西フランク王国が現在のフランスにつながっていく。この頃から北方のノルマン人による侵略が激化。
カペー朝(987〜1328)
987年、カロリング朝最後のフランク王ルイ5世怠惰王が死去、カロリング朝断絶。同年パリ伯ユーグ・カペーがカペー朝を開く。
1180年にはフィリップ2世尊厳王が即位、この時代に領土の拡大や十字軍遠征などを通して王権が強化される。
13世紀、フィリップ4世淡麗王は官僚制度の強化やローマ教皇との対立など慣習を打ち破る施策を実施。
ヴァロワ朝(1328〜1589)
1328年、シャルル4世が死去しカペー朝断絶。フィリップ6世がヴァロワ朝を開く。フィリップ4世の孫でもあるイングランド王エドワード3世がフランス王位継承権を主張、百年戦争勃発。開戦当初はイングランド側が優勢だったものの、最終的にはフランスが領土を拡大して終戦。
1498年、シャルル8世温厚王がイタリア戦争を開始、ハプスブルク家との対立が始まる。16世紀前半にはフランソワ1世が当時ハプスブルク家と対立していたオスマン帝国スルタンのダレイオス1世と協力して皇帝カール5世と抗争していたものの、ハプスブルク家優勢のまま終戦。
1572年には宗教対立が激化し、カトリックがプロテスタントを虐殺(サン・バルテルミの虐殺)。
ブルボン朝(1589〜1792)
1589年、アンリ3世が暗殺されヴァロワ朝断絶。ナヴァール王アンリがフランス王アンリ4世として即位、ブルボン朝を開く。
1643年、当時5歳のルイ14世が即位、宰相のマザランが補佐を務める。1648年にはカトリック対プロテスタントという構図の三十年戦争の講和条約であるウエストファリア条約締結。マザランの死去後の親政期には財務長官コルベールの元で重商主義政策を推進。この時期にフランス絶対王政が確立したと言われている。
ルイ15世は女好きで政治嫌い。1774年、ルイ16世が即位。この時代には啓蒙思想が広がっており、絶対王政が立ち行かなくなっていく。
関連書籍
- カペー朝 フランス王朝史1 佐藤賢一著
- ヴァロワ朝 フランス王朝史2 佐藤賢一著
- ブルボン朝 フランス王朝史3 佐藤賢一著
近代
フランス革命(1789年〜1794年)
1789年7月14日、民衆がバスティーユ監獄を襲撃しフランス革命の契機に。
第一共和政
1792年王権が停止し、共和政樹立。1793年1月には国民公会の決定によりルイ16世を斬首刑に。同年10月王妃マリー・アントワネットも斬首刑。
ロベスピエールなどジャコバン派による恐怖政治。次第に独裁に対する民衆の反発が強まりロベスピエールは失脚。
1799年、ナポレオン・ボナパルトが執政政府を樹立。
関連書籍
- 革命のライオン 小説フランス革命 佐藤賢一著
- ナポレオン1 台頭編 佐藤賢一著
通史
最後にフランスの歴史を一通り学べる書籍を紹介します。特定の時代や視点に限定しておらず、先史時代から現代まで通して理解することができます。
関連書籍
- 教養としてのフランス史の読み方 福井憲彦著
書評記事もありますので興味があれば参照ください。
簡易年表
紀元前58年 | ユリウス・カエサルによるガリア遠征、ローマによる支配 |
418年 | 西ゴート王国成立 |
481年 | クローヴィスがメロヴィング朝フランク王国を建国 |
496年 | フランク王国のクローヴィスがカトリックに改宗 |
732年 | カール・マルテルが侵攻してきたウマイヤ軍をトゥール・ポワティエ間の戦いで撃退 |
751年 | カール・マルテルの息子ピピン3世が戴冠し、カロリング朝フランク王国を開く |
800年 | ローマ教皇レオ3世によるシャルルマーニュの戴冠 |
843年 | ヴェルダン条約によりフランク王国が三分割される |
987年 | パリ伯ユーグ・カペーがカペー朝を開く |
1328年 | フィリップ6世がヴァロワ朝を開く |
1572年 | サン・バルテルミの虐殺 |
1589年 | アンリ4世がブルボン朝を開く |
1789年 | フランス革命 |
1792年 | 第一共和政 |